モエ・エ・シャンドン社の最高級銘柄、ドン・ペリニヨンって一体どんなシャンパンなの!?

ドン・ペリニヨンについて、製造している会社・生みの親・高級シャンパンとしての独自性、という3つの点においてお伝えしていこうと思います。

モエ・エ・シャンドン社の歴史

 

ドンペリという略称は知っていても、実際にどんなお酒なのか詳しくは知らないという方が
多いのではないでしょうか。

まずはドン・ペリニヨンを製造するモエ・エ・シャンドン社について説明していきたいと思います。

「モエシャン」という略称で知られるモエ・エ・シャンドン社(Moët et Chandon)は、
パリから北東へ150km、シャンパーニュ地方エペルネの街の中心地にあります。

ちなみにシャンパーニュ地方とは、フランスの中でも最北のワイン生産地です。

クロード・モエ氏によって設立された同社はフランス・シャンパーニュ地方最大の生産者であり、
300年近い歴史を持っています。

モエ・エ・シャンドンが保有する広大な自社畑の面積は、1,190ヘクタールにも及び、
東京ドームに換算すると約253個分もあります。シャンパーニュでも最大級の栽培面積を誇るブドウ畑を所有しており、
323の畑のうち、実際には約200の畑で収穫される極上のブドウだけを厳選することで、
モエ・エ・シャンドンのシャンパーニュの安定した高い品質とスタイルが保持されています。

「シャンパーニュの巨人」とも言われており、年間生産量は3000万本ととても手に入りやすく、
安定した本数が生産されています。

「シャンパーニュを限られた人達のプレステージなワインから、
ヨーロッパ全土の人達に好まれるようなワインに転換する」という信念から、
質の高いシャンパンを安定して供給しています。また、「シャンパンを最高のワインにする」という考えも掲げています。

クロードの孫であり、エペルネ市長であったジャン=レミー・モエは、シャンパンを持ってナポレオンの軍隊に帯同し、
ナポレオンの勢力と共にシャンパンもヨーロッパ中に広がりました。ちなみに、優勝祝勝などで「シャンパンかけ」を見たことがあると思いますが、
始めたのはナポレオンだと言われています。

現在は全体の8割以上が輸出されており、海外での知名度も高くシャンパン全体の15%以上を
占めると言われており、日本にも数多く輸出されています。

ジャン・レミー・モエ氏の時代には、「シャンパーニュの魔法を世界中に」
という目標を掲げ、ワイン造りを廃止しシャンパーニュ造りに専念したという過去もありました。

世界初の氷を浮かべて愉しむシャンパーニュ、アイス・アンペリアルの開発や、
2012年にはブランドアンバサダーに世界的テニスプレーヤーのロジャー・フェデラー氏を迎えるなど、
ワイン業界に多くのトレンドを生み出しています。また、パーティーや結婚式などを華やかに彩るシャンパンタワーは、
モエ・エ・シャンドンがプロモーションのひとつとして始めたものです。

007などの有名な映画や各国のドラマに自社商品を登場させたりするなど、
自社製品のプロモーションにも成功しています。

 

 

ドン・ピエール・ペリニヨンの功績

 

ドン・ペリニヨン(ドンは仏語で僧の意味)とはオーヴィレーヌ修道院の醸造責任者であった
ピエール・ペリニョンの名前から取られています。
シャンパーニュをつくる製法の基礎を固めた彼は「シャンパーニュの父」とも呼ばれていますが、
一体どんな人物だったのでしょうか。その功績を辿ってみようと思います。

ドン・ペリニョンというお酒は、実はモエ社が開発したものではありません。
ドンペリの歴史の始まりは、1743年に修道士であるドン・ピエール・ペリニヨン氏が、
シャンパーニュ地方中央部のマルヌ丘陵北側に位置する、
ベネディクト派のオーヴィレール大修道院で醸造責任者に任命されたことがはじまりでした。

シャンパーニュ地方の中流家庭で生まれ育った彼は、
子供の頃から家族が所有するブドウ畑で収穫を手伝うなど、ワイン作りか常に身近にある環境で
育ちました。

彼は47年にわたりオーヴィレール修道院の酒庫責任者を務め、
シャンパーニュをつくる製法の基礎を固め、ガラス瓶やコルク栓の導入を行いました。
「最高のワインを造る」という考えのもと、スペインから来た巡礼僧の水筒に使われていた
コルク栓に着目し、初めて発泡性のシャンパーニュを生み出したとも言われています。

ガラス瓶やコルク栓の導入など多くの革新をシャンパーニュにもたらしました。

1715年、その生涯を終えるまで改良を重ね、シャンパーニュには欠かせない製造工程である
アッサンブラージュという異なる畑や品種、収穫年のブドウから出来たワインをブレンドする技術を生み出しました。

ブドウを栽培するには決して適しているとは言えない厳しい気候のシャンパーニュ地方にとって、アッサンブラージュは画期的な製法でした。

そしてドン・ピエール・ペリニョンの死後、
オーヴィレール修道院はモエ・エ・シャンドン社に買い取られました。
生産本数は約300万本とも言われており、高級シャンパンの中では比較的手に入りやすい流通量です。
また、F1の表彰台に上る勝利の美酒としても有名です。

 

ドン・ペリニヨンとは一体どんなお酒?

 

続いては、ドン・ペリニヨンそのものについて説明していこうと思います。

夜の世界で「ドンペリ」という略称で有名な高級シャンパンと
イメージする方も多いのではないでしょうか。
実は16,000円からでも入手することのできる、比較的流通量の多いシャンパンなのです。

日本はシャンパン輸入国として本数では世界第4位、輸入金額では世界第3位(2015年)です。
また、日本では、海外からの賓客をおもてなしする皇室の晩餐会でもたびたび振舞われます。

「ヴィンテージのクリエーター」と言われるほどのドン ペリニヨンですが、
長期熟成に耐えられるクオリティの高いワインを量産できる技術もあって
ワイン好きから高い評価をされている理由とされています。

ヴィンテージとは、ぶどうの収穫年のことをいい、単一年のぶどうのみを使って造られるワインのことを指します。

ドン・ペリニヨンが市場に出荷されるまでには、なんと、最低でも8年の熟成期間が持たれています。

作柄の素晴らしい年に収穫された葡萄のみを使い、絶妙なバランスで造られた芸術品とも呼べる
高品質シャンパン、それがドン・ペリニヨンです。

あえて整えることをしないほうが美味しい、と言えるほどの最高のぶどうが収穫できたときにだけ造られるワインなのです。

「ドン・ペリニヨンの複雑さはゆっくりとした熟成から生みだされる」という言葉などがあるほど、
ドン・ペリニヨンといえば時間をかけて熟成されることで有名なワインです。また、「ドン・ペリニヨンは3度の飲み頃を迎える」
と言う言葉があるように、熟成開始から8から10年目前後、14から16年目前後、そして25年目以降の3回が飲み頃となっております。

「品質がよく力があり、長期熟成に耐えうる」と判断された限られたものだけが、
第2第3のピークを待つ熟成を許されるとも言われています。

また、ヴィンテージに対する強くこだわっており、よく耳にするドンペリと言われるワインは「ドン・ペリニヨン ヴィンテージ」のことです。

流通量が多く、比較的手に入りやすいこともあり、ドン・ペリニヨンが有名になったのですが
とはいえ、「ドン・ペリニヨン ヴィンテージ(ドンペリホワイト)」を除くドン・ペリニヨンとなると、話は違います。

探しても見つかることが稀なため、インターネットのサイトなどで探すことをおすすめします。

そして最高の飲み頃(プレニチュード)を味わうためにリリースされたのが、
ドン ペリニヨン P2 ヴィンテージです。
「P2」とは、第二回目の熟成のピーク(プレニチュード/ Plénitude)を意味しています。

こちらのシャンパンは、通常のヴィンテージ・キュヴェとはまた異なり、
最高のヴィンテージを最高のタイミングで味わう、というドン・ペリニヨンの革新性をもって生まれた逸品です。

以上ドン・ペリニヨンについてお話してまいりましたが、いかがっだたでしょうか。

みなさまのご理解の一助となれたなら幸いです。

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